井上氏独自の語法

前回の演奏会でも感じ、今日の演奏でも感じたのだが、井上氏は、音楽の冒頭から末尾までを完全な一本の線として聴かせるのが抜群にうまいようだ。しかもその線は極太でありながら、グネグネとかなり大胆な曲線を描いている。
極太一本曲線とラヴェルは一見混じり合わないようにも思えるが、実際に聴いてみると「なるほど、こうなるか」と充分に聴き手を納得させる演奏になっていた。緩急の大胆な対比と熱くねばる響きとで瞬く間に聴衆の耳を鷲掴みにし、そのままクライマックスまで力強く一気に引っ張っていくような印象。なかなか他にはないラヴェルだ。最近私はCBS時代のブーレーズが録音したラヴェルが好きでしょっちゅう聴いているので、まさにその正反対とも言える今日の演奏を聴いた新鮮な驚きはひとしおだったかもしれない。

オール・ラヴェル・プログラム

井上道義氏によるオール・ラヴェル・プログラム。井上氏のライブは、去年の大フィル定期で急病のフェドセーエフの代演したのを聴いて以来2度目。前回はシチェドリンカルメン組曲ドヴォルザーク交響曲第8番が演目で、その独特の音楽の盛り上げ方というか、温度と湿度の高さが非常に面白かった。ただ、ラヴェルの音楽と、あの夜に聴いた音楽の語り口はいまひとつ私の頭の中で混じり合わず、どうなるんだろうな、と期待しながら演奏会にのぞんだ

ザ・シンフォニーホール 19:00〜

井上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団

拍手!

演目終了後、拍手に促されて舞台に再登場した大植氏は、なんと客席に向かって話しかけはじめた。
「大阪フィルに来て本当によかったと思っています。先程、大フィルとの契約を、ちょっと長めに更新いたしました!」
客席から大きな拍手。アンコールは、「町人貴族」から、長原氏の見せ場の多い「仕立て屋の登場と踊り」を再演奏。本当に、大フィルに来てくれてありがとう、大植氏!

モーツァルトも、シュトラウスもいいぞ

オーボエ独奏のブルグ氏は、元パリ管の主席奏者。太めの音で明るく奏でられるソロに、軟らかく鮮やかなオーケストラの伴奏。モーツァルトの書いた協奏曲は、いい演奏で聴くと本当に気持がいいなぁ。
R.シュトラウスの作品は、オペラから選られた管弦楽のみの組曲なのだが、いつものR.シュトラウス節とは一線を画す、「R.シュトラウス製、似非バロック」的味わいの代物だ。コンサートマスターの長原氏が大活躍。

信頼関係の賜か

そもそも、マッシブな大音量や豪快なリズム感で聴かせるオーケストラに比べて、弱音の内側で見せる表現の多彩さで聴衆を満足させることのできるオーケストラは少ない。小さい音を出すということは個々の奏者に非常な負担だし、そのなかで表情の変化をつける、となるとなおのことだ。大概の指揮者やオーケストラもそこで勝負するのは避けることが多い。その意味からも、大植氏と大フィルが信頼しあって、高い階段を上がろうとしているのがわかり、感激せずにはいられなかった。

弱音で攻める大フィル

なんとそのマ・メール・ロワ、大植氏と大フィルは弱音の表現力でアグレッシブに攻めてきた。緊張感に溢れる最弱音の中で、弦も管も微妙な表情の変化を表出して見せる。ラヴェルの繊細な管弦楽の響きが、息をのむような注意深さで再現されていく。おお、こりゃすごいぞ、と先週の演奏会とは違う驚きで興奮してしまった。
私が大植&大フィルのコンビを初めて聴いたのは、大植氏が常任指揮者に就任してから2回目の定期演奏会だった(演目は幻想交響曲だったと思う)。そのときの感想は、大植氏の指揮テクニックとそれに懸命に食いついていく大フィルの熱意に圧倒されながらも、「でも、指揮にオーケストラが充分には反応しきれてないみたいだなぁ」というものだった。特に、指揮者の要求に応じて音量は大胆に揺れるものの、その音量の大小が表現としての大小にいまひとつ繋がっていないのでは、という印象をうけたのだ。
しかし、大フィルの熱さを見ていると、きっとそんな課題をこのコンビは乗り越えていくに違いない、その変化の過程を私も見守りたい、と思ったのが、私が大阪フィルの定期会員になった最も大きな理由のひとつだ。
マ・メール・ロワの演奏は、数年前のそんな私の思いに対する、大植&大フィルの明確な「答え」だった。