さて、終演後

演奏会終了後、五嶋みどりさんはロビーに現れて、なんと立ったままサイン会を開始。ズラリと並んだファンの列に自ら入り込み、ひとりひとりの前に歩み寄って、丁寧にサインし、握手をしながらひと言ふた言ことばを交わす。すごい。こんなサイン会初めて見た…。
私はかなり列の後方だったので、おそらく200人目位だったのではないかと思う。
「ありがとうございました。またこれからも色々な曲を聴かせてください」
と握手しながら声をかけたら、ニッコリと笑ってくださった。うわぁぁぁ。どっぷりファンになってしまったぞ。

舞踏の聖化

コンサート後半はベートーヴェンの第7。ドイツの名門オケとテクニック抜群の指揮者にピッタリの演目だ。
そして、もちろん期待通りの演奏だった。自然な流れで築き上げられる圧倒的なスケール、驚異的な技巧に支えられた細部にまで心のいきわたった表現力。…そこらのオケとは格が違うなぁ。
アンコールは、ブラームスハンガリー舞曲と、ビゼーアルルの女からファランドール。2曲とも、オーケストラと指揮者のテクニックを全開にした爽快な演奏だった。ファランドールの最後で調子付いた指揮者が急速に超高速化を指示したために、「限界に挑戦」状態となったアンサンブルが半分崩壊したのもご愛嬌。指揮者と団員も苦笑い。客も大喜び。

世界の"Midori"

さて、シベリウスのコンチェルトのソリスト五嶋みどりさん。実演に触れるのは、私ははじめてだ。どんな演奏をするのかな、とチケットを取ったときからとても楽しみにしていた。
で、いざ演奏が始まってみると…もう、たまげてしまった。最初の数小節を彼女が弾き始めた途端、会場全体が"Midori"に染まったのがわかったから。
「情熱的」とか「雄弁」とか、そんな表現をいくら積み重ねてもその音楽を言い表すことはできない。ただ、ひとりの音楽家の切々とした独白が聴き手の耳を鷲掴みにして離さない。息を詰めるような緊張感の中で、静かな熱狂がホール全体に燃え上がっていく。もちろん、オーケストラの伴奏も非の打ち所がない。彼らが描く壮大なスケールの背景と、五嶋みどりさんの一挺のヴァイオリンが示す孤高の存在感。シベリウスのコンチェルトがこんなにも真摯な熱情と慟哭に満ちた音楽だったなんて!演奏会でもCDでも何度も聴いたことある曲なのに。
終楽章の最後の一音が終わったとき、思わず大きく息をしてから、「ああ、『音楽家』というのはまさにこういう演奏をできるひとのことを言うんだろうな」と感じた。音が単なる音として響くのではなく、なにかもっと深く遠いものとの繋がりを感じさせてくれるような存在として目の前に現れるあのような演奏を聴かされると、彼女には「ヴァイオリニスト」よりも、「音楽家」という呼称のほうがふさわしいように思えてくる。

響きは木目の香り

まずは華麗なワーグナーの序曲。ああ、なんて美しい響き。各楽器の音がふくよかに混じりあい、ふんわりとした暖かさを感じさせる。その暖かさと、豊かに広がるスケールはそのままに、しっかりとバランスを整えて各楽器の動きをよく見せるヤンソンス氏のテクニックも相変わらずお見事。また、音楽の隅々までニュアンスに満ち、一瞬たりとも単調に陥ることはないのに、細部に拘泥して音楽が停滞することがないのもヤンソンス氏のすごいところ。もちろん、それに十全に答えられるオーケストラのテクニックもすごい。

テクニシャン・ヤンソンス

ヤンソンス氏の指揮は、昨年アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団で聴いたことがある。その時の印象としては、とにかく指揮テクニックが鮮やかだったことが強烈に残っている。オーケストラが上手いのは言うまでもないのだけれど、それを自在に操って色彩とニュアンスの豊かな響きを作り上げている指揮者の手腕がキラリと光っていた。今回はバイエルン放送交響楽団という、ドイツの名門オーケストラ。どんな音楽になるのか楽しみだ。

京都コンサートホール 14:00〜

マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

是非次は…

ただ、今回のコンサートでちょっと残念だった点をあげるとすれば、フェスティバルホールの音響。大人数を入れることを主眼としたホールなので仕方ないのかもしれないが、ウィーン・フィルの響きをたっぷりと味わうには余りに茫洋とした音響特性だと思う。是非、次はシンフォニーホールか京都コンサートホールでやってください…って言っても届きはしないか…。