まずは前半のバッハ

まずは、クラビチェンバロによるバッハの演奏。小規模なホールゆえ、チェンバロの小さな音も、ひとつひとつの音波の細部までよく聴こえる。いやはや、本当に贅沢。
さて、デームス氏の演奏はというと…正直言って、私は最初の平均律でちょっと戸惑ってしまった。どう説明すればいいのかよくわからないが、敢えて言うなら、演奏がなんだか非常に「老匠然」としているように聴こえたのだ。
基本的には、すべてが完全に演奏者の内部で消化されて音となっていることはよくわかる。しかし、その表現のされ方がかなり渋い。テンポは自由闊達に動くが、それは外面的な「華麗さ」を感じさせるものではない。言うなれば、老人がゆっくりとした手つきで大好きな骨董品を撫でているような印象さえ感じさせるのだ。
聴き手が黙っていても「ほら、この曲はこんなところがキレイだよ」と教えてくれるような演奏ではない。こちらから積極的に身を乗り出して、演奏者の心と自分の心を同期させ、一緒にその曲を愛しみ、味わっていくべき演奏、と言えばいいのかもしれないな、と「フランス組曲」を聴いている最中に思えてきた。
例えば、「カプリッチョ」で出てくる愛らしい旋律を、デームス氏はまるで掌の上でコロコロと転がして慈しむように奏でていたのが印象的だった。聴き手としても、デームス氏の掌で転がるその旋律を一緒に慈しむ気分で聴くと、なるほど、とても自然に音楽が心に入ってくる。
前半部最後でのアンコールは、ゴルドベルグ変奏曲から「アリア」だった。