ハイドン再発見?
実を言うと、私はハイドンにはあまり馴染みがない。所有しているCDはモーツァルト以降に偏重していて(バッハは唯一の例外としても)、よく考えてみるとハイドンの交響曲がおさめられたCDはどこを探してもない状態なのだ。現代の方には、カーターやベリオ、ペンデレツキなど、御存命中の作曲家までどこまでも延びているのだが…。
そんな前提知識で言うのもなんだが、金氏のハイドンを聴いて感じたのは「へぇ、ハイドンって、こんなにロマンティックで、ドラマティックだったんだ…」ということだった。なんとなく、四角四面で面白みのない予定調和の音楽だと勝手に思っていたからなおのことだったのかもしれない。
金氏は、オーケストラの響きをシンプルにそぎ落すと同時に、アティキュレーションをかなり注意深くコントロールして、ニュアンス豊かな音楽を作り上げている。その音楽の表情は「ひとなつっこい」とさえ言いたくなる程だ。テレビで見る金氏の、大阪弁でちょっとぶっきらぼうな喋り方の雰囲気からするとちょっと意外なくらい。(雑念?)
特にロンドン交響曲の最終楽章は、モーツァルトの音楽にも通じるようなドラマチックさと上品さを兼ね備えた魅惑の音楽に仕上っていて、思わず「おお、ハイドンもいいかも」と引き込まれてしまった。
特に左手協奏曲とダフニスが魅惑的
左手のための協奏曲の独奏をつとめた菊地洋子さんは、スラリとした長身の、笑顔が素敵な美女。演奏は意外な程に力強く、鍵盤を力強く押し込んでいくような骨太さが井上氏の引き出すオーケストラの響きといい相性。ふむふむ、こんなに熱いラヴェルもあるのか。
今夜のメインともいえるダフニスとクロエ第2組曲の冒頭は「夜明け」と題された音楽で、ゆらめきながら徐々に膨らんでいく管弦楽の響きが描写する靄のなかから、鳥の声を模したフルートやヴァイオリンの短い歌がスッ顔をもたげ、やがてハープの神秘的な音色とともに日の出が訪れるという、精緻極まりないオーケストラ曲だ。私は、井上氏の先生のひとりであるチェリビダッケが演奏するこの部分をCD(海賊版だが…)で聴いて、クラシック音楽の世界から抜けられなくなったという経験がある。
井上氏が描き出すこの部分は、また一種独特だった。なにやら粘性の高い液体がヌヌヌッと波となって押し寄せて来るような、「視覚的」とさえ表現したくなるような不思議な感覚に襲われたのだ。大人数で構成されているはずのオーケストラが、ひとつの得体のしれないネバっこい物体となって、眼の前でゆっくりとのたうち回っているようだった(変な表現で申し訳ない)。この文章を書いている今でも、あの瞬間、あの感覚をはっきりとした視覚情報として思い出せるように感じるのは、改めて考えてみるとなんだか面白い感覚だ。