大植氏の出す響きは

いつも思うのだが、抜群の指揮技術を使って縦のリズムをきっちりと揃え、パートバランスも丁寧に整える割には、大植氏の音楽には意外と透明感を感じない。むしろ、粘っこい印象すらある。大植氏が弦楽器群に結構大きなビブラートを要求するからだろうか。曲によっては「もうちょっと澄んでいたほうがいいなぁ」と思うこともあるのだけれど、マーラーではこういう響きもいいなぁ、と先日のインバルの指揮と比較しながら面白く聴いた。当たり前のことながら、指揮者とオーケストラによっていろいろなマーラー像があって興味深い。